家庭菜園のお付き合い

家庭菜園のお付き合い

私の家は昭和35年に土地を購入し、引き続いて住宅を建てました。
周りは戦前からお住まいの方ばかりで昭和35年頃は今と違って冠婚葬祭やらお祭りやら敬老会などの慣習が固く守られ、私の家は新参者ゆえ今は亡き父が近所関係のお付き合いの席では末席に座るのが習わしで、他の方々の話の内容に口をはさむ事も出来ないような雰囲気だったことを覚えております。

 

山間部から下りてきたばかりの人間がこの土地の風習事などわかるはずがないし、意見を述べるのは10年早いという状態でした。それも当然で決して悪意があってのことではありませんでした。
むしろ親切に教えてくださると言うものだったと思います。
近所に何か事ある度に私の家は父も母も雑役係でした。何も知らないのですから当然のことです。長老と言われる人たちが全てのことを決め私の家にはお知らせしてくださるだけでした。

 

当時は今と違って葬式は自宅で行うのが圧倒的に多く近所の人がお手伝いするのが当たり前の時代でした。
それは決して悪いことではなく相互扶助で経費をできるだけ掛けないで行事を行うと言う賢い風習であったと思います。
結婚式も自宅で行うお宅も当時はまだあり、父も母も葬式同様1〜2日はお手伝いしたものです。

 

お祭りも夏の祇園祭が最大の行事です。
敬老会も大きなイベントで女性は大変でした。
今考えると当時の近所付き合いというものは多分に助け合いの精神からきている面が多く、年配者の男の人を中心として決して女性を差別したものではありませんでしたが、御勝手方として女性の役割は大きなものでした。
私の母も公民館の台所で一生懸命ベテランの女性から教えていただきながら働いていました。

 

そんな事をしながら覚えていったのだと思います。その行事の後にはご苦労呼びとして、必ず女性のみなさんにごちそうするという事が行われていました。良い配慮だったと思いました。

 

そのうちに世の中もだんだん変って来て、冠婚葬祭も自宅で行うお宅もなくなり近所の人が触れ合う事も少なくなって来ました。

 

その頃私の亡き父が家の斜め後ろにある50坪程の農地をお借りして家庭菜園を始めました。
私の父も母も農家の生まれでしたから最初から何とか食べられる物を作ることが出来たようです。
父は農業が好きでだんだん色々なものを作るようになりました。
母は正直最初畑仕事はあまり好きではなかったようですが、しないわけにもいかず草取りを汗しながら一生懸命にしておりました。

 

当時は良いものは出来なかったと思いますが沢山取れた時はご近所にお配りして喜ばれておりました。
そのうちに父のするところを見ていたからかどうかはわかりませんが、ご近所のお宅が地主さんから畑をお借りして家庭菜園を始めました。

 

その中に農業高校を卒業された方がいました。
その方の指導で5軒位の方々が、そえ木の仕方、ビニールのかけ方、堆肥、肥料のまく時期などを覚えていきました。
夏は涼しいうちに作業を行い、夕方涼しくなったらまた再開しました。秋、冬は長い時間作業しました。
この家庭菜園で良い慣習と言う程のものではありませんが作業をしながらよそのお宅の野菜や果物の生育が良かったとか、うまくいかなかったお宅は良いものが出来た御宅にどのようにしたかをお聞きしたり、楽に作業をするにはどうしたらよいかを皆で話し合ったりする時間が生まれました。

 

それは楽しい時間で農機のできる人はよそのお宅の畑を耕してあげたり、苗はどこのお店がよくて安いかの情報交換をしたりよそのお宅にジャガイモの種イモがない時は余っている御宅で差し上げたり、逆の事も始終するようになり人間関係が深まり畑には関係のない事でも助け助けられるようになり近所のお付き合いも更に深まったものになったような気がします。

 

昔はあまりお話しをした事がなかった人とずいぶん畑を含め畑以外の事でもお話しするようになり、道で行きあっても話題が豊富です。
少し離れたところで家庭菜園をされている方も私達の雑談に加わりいつの間にかそのお宅で畑に必要なわらを持ってきてくれるようになりました。

 

今まで深い会話をした事のなかったお宅で結婚式があると呼んで下さったり、うちでも娘の結婚式には家庭菜園仲間も来て頂き、父が亡くなった時は畑仲間の皆さんが弔問においで下さいました。
家庭菜園が取り持つ近所付き合いの妙とでも申しますか、皆さんも私も勤めを退職の歳になり最近益々盛んに家庭菜園に力を入れているように見えます。

 

今は近所付き合いが楽しく畑での雑談は時間がたつのも忘れるほどです。
家庭菜園は近所付き合いの潤滑油。私の近所にはもめごとは何一つもありません。
自分で作った野菜・果物はおいしいですよ。皆さんも家庭菜園如何ですか。